不定期シリーズvol.5神社のあるべき姿とは?
皆さんこんばんは〜😃
ややもすると、このシリーズを忘れてしまいそうな祢宜です^ ^
第5話 『神社のあるべき姿とは?』
表題のような大それたことはよういいませんが、皆さんはどう思ってるんでしょうか?
⭐️神事を粛々と、伝統を守っている場所
⭐️清浄で豊かな自然があるところ
⭐️お祭りで楽しいところ
⭐️困った時に拝に行くところ
etc...
私が思うに、本来の神社とは?
地域の人々が寄り合う場所であって、
みんなで協力して困難に立ち向かい、
みんなで収穫を喜び合う場所。
それら一つ一つのことを神様にお伝えする事を神事と呼び、みんなで祈りを捧げていた場所。
明治、大正までは、格別に寄り合い所としての機能が強かったんではないかと思います。
何故かと言うと、
まだそれらの時代では、
通信や交通手段が乏しく、社会が小さかったからです。
小さい社会の中で、いわゆる地元の名士と呼ばれる人々が寄り合って、いろいろなことを相談したりしていたんではないでしょうか?
今で言う、ライオンズクラブや、JC、同友会とか、ようは経営者が集まる交流会みたいなものでしょうか?
ところが、産業革命後、移動手段が飛躍的に向上し、通信手段も大きく進化していく中で、産業は広範囲に渡り、小さな社会から離れていきました。
このような背景により、
神社の一つのあるべき姿である、『寄り合い所』の機能が必要が無くなったのです。
もちろん大きな神社は別ですが、
地元の氏神様と呼ばれる神社はほぼ同じ状況かと思います。
寄り合い所の必要が無くなったのは大きく、
ここから衰退の道が始まりました。
もちろんこの面だけでは無く、
政教分離政策による影響も非常に大きいです。
今、コロナ禍のせいで、明治、大正時代並みに移動が制限されました。
海外取引も鎖国状態に近いものです。
これも、何かが起きた時には、気がついてない何かを教えてくれてる理論からすると、
経済のグローバル化と資本主義の限界を少し早目たのでは?と感じます。
グローバルの対局のローカルな社会、ミニマルな社会に変わっていく予感がします。
その時、神社がその役割を果たすことが出来るか?存在意義を問われる時が来ますね。
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